日本伝統国技、柔道と剣道を知ろう!

柔道について

剣道について

スポーツしよう!

剣道 歴史

柔道と同等に、日本古来の武道として剣道もまた根付いている。ちなみに、今ここで言うことだが、筆者は剣道を中・高生時代に必修科目として習っていた。

選択した理由としては何とも単純なことなのだが、剣というフォルムが好きだったからという、少し厨二くさいのだが、個人てきには6年間楽しく学んでいたので問題ない。

さて、剣道は古武道の剣術から江戸時代後期に発達した防具着用の竹刀稽古を直接的な起源とされている。その後流派を超えての試合が広く行なわれるようになり、明治時代以降に大日本武徳会が試合規則を定め、競技として成立することになる。

剣道に関しては複数の流派が集まって完成した方となっているために、柔道のような特定の人物が創設したということはない。その後の競技としての剣道は、対東亜戦争後に大日本武徳会は解散して、事業内容は後に発足した全日本剣道連盟に引き継がれることになる。

現在でも剣道は事実上スポーツとして分類されているが、全日本剣道連盟は『剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」』と表明している。

段位といったものは取得していない筆者から見ても、経験談としては修練に近い練習内容であったことはなんとなく理解できる。精神鍛錬という側面では剣道は向いていると思え、人間修行ということであれば柔道より剣道をすることがいいと、いわれるとそんな感じがする。

また、全日本剣道連盟が昭和50年に制定した『剣道の理念』・『剣道修練の心構え』としても以下のように述べている。

剣道の理念
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」
剣道修錬の心構え
「剣道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節をとうとび、信義を重んじ誠を尽して、常に自己の修養に努め、以って国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に、寄与せんとするものである」
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剣道の歴史変遷

江戸時代

起源となる江戸時代中期の正徳年間において、直心影流の長沼国郷が面と小手を製作し、竹刀での打ち込み稽古法を確立する。宝暦年間に中西は一刀流の中西子武が防具を鉄面・具足式に改良する。防具の発達により、袋竹刀より強固な四つ割竹刀の製作が行われるようになる。

江戸時代後期から末期に掛けては、竹刀打ち中心の道場が興隆するようになり、この頃より流派を超えての試合が行なわれるようになる。その後江戸三大道場の1つである『北辰一刀流』の創始者『千葉周作』が剣術の技を六十八手に分類し、講武所頭取並の男谷信友は竹刀の全長を3尺8寸と定める。

当時の試合は真剣を使った戦いに勝つための訓練れき要素が強かったため、競技としてはこの頃は成立しておらず、審判規則や競技大会もなく、10本勝負が通例となっていた。

明治・大正時代

明治維新によって武士の身分が廃止となり、廃刀令により帯刀も禁じられてしまい、剣術家たちはこぞって失業をしてしまう。そんな彼らを救済するため、直心影流の『榊原鍵吉』は明治6年、撃剣興行という剣術見世物を開催する。この見世物は大変な好評を得て満員御礼となり、刺激された2代目斎藤弥九郎や、千葉東一郎などの剣術家も争って同様の見世物を開催するようになる。数は実に37箇所にまで増えて、名古屋・久留米・大阪など全国各地へと広まるようになる。

しかしこの人気も悪魔手一時的なもので徐々に下火となってしまう。

見世物のおかげで剣術としても命脈は保つことはできたが、客寄せのための派手な動作などは後々剣道に悪影響を及ぼしたと見る者もいる。

警視庁剣術

明治10年、士族反乱西南戦争に従軍した警視庁の抜刀隊が活躍し、このときより剣術が再度価値を見直されることになる。

それから2年後、巡査教習所に道場が設けられることになる、上田馬之介・梶川義正などが撃剣世話掛として最初に採用され、その後も数多くも当時著名な剣術家たちが採用されることになる。子のときより、剣術が徐々に再興に向かいつつあることがよく分かる。

撃剣興行や地方の剣術家も続々と就職先を決定していき、明治16年には、一同上の市販として通用する警察官の数が二百数十名にまで膨れ上がる。

警視庁は警視流木太刀形や撃剣級位を定め、弥生神社で全国規模の撃剣大会を開くなどして、明治前期の剣術の最大の拠点にまで成長させた。地方の警察もこれに習って剣術を推奨するようになり、一般社会の剣術としての地位の再考を促すこととなった。

大日本武徳会

明治28年、平安遷都1100年記念や日清戦争の勝利によって日本武術奨励の気運が高まり、大日本武徳会が結成される。同年には武徳祭大演武会の第一回が開催され、優秀な剣術家に精錬証が授与された。

大日本武徳会は、流派を超越した統合組織として毎年の大演武会の開催・各府県支部の成立・武徳殿の造営・武術教員養成所の設立、段位称号の授与・試合審判規則の制定など、現在まで続く剣道の制度を確立していき、太平洋戦争敗戦まで剣道の総本山としての役割を担っていた。

学校剣道

学校教育に剣道が採用されたのは明治16年からだが、初めの頃は指導が難しく有害として見送られていた。剣道課の衆議院議員星野仙蔵らの請願運動により、明治40年には衆議院で可決されることになり、明治44年に剣道が中等学校正科の体操の一部として実施されるようになる。

剣道を教える指導教員の養成を行う機関というのが、武道専門学校と東京高等師範学校があった。しかしあまりにも大勢の生徒の指導を行なうために従来の個人教授法では教えきれないため、高野佐三郎は集団に一斉に教えるための団体教授法を考案する。また、大日本武と句会は全国から25名の剣道家を選抜し、中等学校剣道教育のための大日本帝国剣道形を制定した。

昭和前期

従来の剣道大会は個人毎の試合のみとなっており、戦いを前提にした練習ということもあって順位を競うといった色合いはなかったが、大正13年から開催された明治神宮体育大会や昭和初期の天覧試合では、リーグ戦やトーナメント方式で優勝者が決められていた。このシステムは当時としては画期的な試みであったと同時に、剣道をスポーツをしての競技として正式に確立するきっかけにも繋がることになる。

中には競技としての剣道を認めない剣道家も存在し、国家的行事からしかたなく参加していたと表明するものまでいた。

戦時中の剣道

第二次世界大戦中の日本では、政府が大日本武徳会を厚生省を含む5省の共管とする外郭団体に改組し、国民の戦意高揚と戦技訓練のための機関とした。戦時中の剣道は、戦場での白兵戦を前提とした訓練内容となり、競技としては一線を画したものであった。

そして試合形式に関しても、戦いに勝つという意味合いで一本勝負を奨励していた。

第二次世界大戦開戦により、日本は戦時体制に入った。太平洋戦争中の昭和17年(1942年)、政府は大日本武徳会を厚生省、文部省、陸軍省、海軍省、内務省の共管とする外郭団体に改組し、国民の戦意高揚と戦技訓練のための機関とした。

戦時中の剣道は、戦場での白兵戦を想定して行われ、競技としての剣道とは一線を画したものとなった。打突を「斬突」という表現で呼称し、攻撃的な先の技を重視して、軽い打ちや片手技は認めないものとされた。試合は一本勝負が奨励された。

剣道禁止と撓競技の誕生

昭和20年に日本が敗戦し、GHQの占領下に置かれると、連合国軍は、大日本武徳会が国家と結びついて戦争遂行に加担したとして組織を解散させ、関係者1300名近くを公職追放とした。剣道の組織的活動も禁止されるようになり、明治維新についで二度目の危機を迎えることになった。

それから5年後、全日本剣道競技連盟が結成されるが、剣道という名称が問題視されるようになり、全日本撓競技連盟と改称する。武道的性格を払拭した『撓競技』というスポーツが生み出され、フェンシングのように軽量の防具を着用して、袋撓で打ち合いポイントを競いあった。昭和27年に中学校以上の学校体育に採用が決まり、さらに同年国民体育大会にオープン競技として参加も果たすことになる。

同じ頃、警察でも『警棒術』と称する竹刀の短い剣道のような訓練が考案されていた。

剣道の復興

昭和27年、サンフランシスコ講和条約発効に伴い連合国軍の占領が解かれると、同年に日本剣道連盟が結成され、剣道の復興が始まる。剣道と撓競技は暫くの間は共存を果たしていたが、条約発効から2年後に同二団体が合併したことで撓競技の廃止が決定した。しかし全てがなくなったわけではなく、一部のルールが剣道へと引き継がれるようになった。その後、戦後の剣道を民主的スポーツとして実施する方針を全日本剣道連盟は表明した。

昭和後期・平成

明治時代からの現在まで、警察官としては必須の武道と定められている柔道と剣道は、各警察署には道場が設けられており、署員が稽古に使用するほか、道場を開放して剣道教室を開くなどしている。警察官の中でも特に選抜された術科特別訓練員は主に機動隊に所属し、豊富な稽古量を保っている。全国的に開催されている剣道大会などの出場者も大半が警察官を占めている。

学校剣道

昭和28年、中学学習指導四両で、剣道・柔道・相撲が正科体育として認められ、今日にまで至っている、2012年4月からは中学校教育でも男女ともに武道が必須科目として採用される。授業以外の部活動としても盛んに行なわれ、日本全国の中学・高等学校・大学などで剣道の稽古が行なわれている。

実業団剣道

民間企業として、柔道と同じく剣道の部活動を行なっているが、職務として剣道を稽古している警察官・教員・刑務間に比べるとどうしても精力的にはあまり強いとは言えない。柔道がオリンピック競技として採用されたことで大々的に参入している現状と比べたら目も当てられないだろう。現実として、剣道より柔道に回すお金の方が多い企業が多いのが当然となっている。

女性剣道

女性が剣道を学び始めることが増えたのは、高度経済成長期である1960年代から1970年代となり、男性の剣道と比べたら歴史は浅い。戦後の男女共学化や女性の社会進出が盛んになったのが大きな要因となり、かつて女性の武道としての薙刀は徐々になりを潜めることになる。

当時こそ剣道経験者は少なかったが、今では有段者の1/4が女性を占めており、平成9年には全日本女子剣道選手権大会に皇后盃が下賜される。

国際化

戦前、日本人が移民したアメリカやブラジル、日本が統治した朝鮮や台湾などでは剣道が稽古されていたが、決して国際的なものではなかった。戦後から数十年がたった昭和45年、剣道の国際競技団体として国際剣道連盟が発足し、世界剣道選手権大会が同年開催された。その後3年ごとの開催を行なっており、初めは17カ国の参加であったが、近年には40カ国までに増えているが、それでも柔道の参加国と比べたら厳しい現状だと言わざるを得ない。

また国により剣道の道具や指導者が十分ではないところが多く、試合においても実力差がはっきりと出てしまうことも問題視されている。

剣道が国際化されたことにより、剣道をオリンピック種目にしようという運動も当然ながら起こった。しかし全日本剣道連盟としては、剣道が種目として正式採用された場合には勝利至上主義や商業主義になるとして、それでは剣道の理念に反してしまうとして反対している。さらには剣道は有効だと角判定基準が非常に曖昧で、国際競技の場では審判が厳しいという問題もあるため、現実的ではない。

統括組織

日本

全日本剣道連盟
日本最大の剣道団体。日本の剣道界のほぼ全体を統括している。日本武道協議会、日本体育協会、日本オリンピック委員会(JOC)、国際剣道連盟(FIK)に加盟している。
日本剣道協会
神道無念流系剣道団体。「真の剣道復活」を唱えて設立された。竹刀による打突だけではなく、体当たり、足払い、組討ち等も認めている。

世界

国際剣道連盟(International Kendo Federation, FIK)
全日本剣道連盟の国際競技団体として1970年(昭和45年)に設立。以来、3年ごとに世界剣道選手権大会を開催している。2003年7月時点で44ヶ国の剣道団体が加盟している。国際オリンピック委員会(IOC)公認団体スポーツアコード(旧称GAISF)に加盟。IOC承認国際競技団体になることを目指している。
柔道最新情報 でもこの日立 アパートって名前、どうにかならないのかな 。あれっ、この日立 不動産って何だろう?しかも日立ってどこだ?聞いたことないけど、大学からそう遠くないし、おまけに家賃もそんなに高くない 。